アクティブラーニングとは方法論ではない?

アクティブラーニングという動名詞に以下のように「方法論ではない」、アクティブラーニングは理念であると主張している言説を見かけた。

 

 

 

 

渡辺敦司 :方法論が先行しているという指摘があったが、まさに方法論ではないんですよ。

円卓にしたり、班にしたりコの字にしたりするのがアクティブラーニングになる場合もあるし、ならない場合もある。というのはアクティブラーニングになるかどうかは、知識、技能、思考力、判断力、表現力、学びに向かう力、人間性の3つを育ってられているものがアクティブラーニングであって、育てられていないものはアクティブラーニングと呼ぶに値しない。

 

youtu.be

 

 

 

もし上のような「成功を含意した」解釈がアクティブラーニングの定義なのなら、それは言葉の選び方の誤りだと言わざるを得ないと思う。「ラーニング」というからには学習法であるはずで、すなわち方法論であるべきだ。理念をぶち上げたいなら別の用語を使うべき。